自分はどうにも「言語化する能力」が弱いと感じている。
なんか言いたいことはあるんだけどうまい言葉・言い回しが出てこない、あとからああ言えば良かった!とか思ったり。口喧嘩に弱いタイプ。
そこで、まずはググっていろんなサイトを読み漁ってみた。
気になったところを抜粋。
そもそも、言語化しなければならない理由は、「ほかの誰か」に何かを伝えたいからですよね。
見られている意識
これを常に念頭に置く必要があります。
この”見られている意識”を持つことで、「あの人に伝えるにはどうすれば良いか?」「これを伝えるには何が一番適切な方法か?」という思考を発生させることができます。
「言葉が意見を伝える道具ならば、まず、意見を育てる必要があるのではないか?」
冒頭の質問に対する私なりの答えは、ここにあります。
「伝わる言葉」を生み出すためには、自分の意見を育てるプロセスこそが重要であり、その役割をも言葉が担っている、というものです。
「言葉は思考の上澄みに過ぎない」
考えていないことは口にできませんし、不意を突かれて発言をする時、何も答えられなかったり、自分の考えを伝えられず誤解が生じてしまうこともあります。つまり、言葉にできないことは、考えていないのと同じなのです。
楠木 そうですね。ちょっと話は逸れますけど。違和感っていう言葉に、僕は違和感を持っていて(笑)。違和感っていう言葉は、僕は使わないようにしています。違和感って言ってしまうと、「なんかちょっと違う感じ」とういところで思考が終わってしまいますよね。自分の考えと何が違うのか、何に反対なのかっていうのを、言語化できていない。少なくとも、自分の考えを言語的に説明できる形で持っておくのは、僕は仕事上すごく大切なことだと思っているんですね。
「T字型思考法」
自分の頭のなかで言葉として考えを組み立てることをサボって「いいね!」で済ます。こういう記事を見つけて何のコメントもなしにリンクだけはってツイートしてるのも同じ。言葉がない。自分が何を感じたかをあらためて言葉にして見つめ直すという視点がない。それゆえ、そこには共感した自分とそれをあらためて言葉にする自分のあいだで生じるはずの齟齬が存在しない。自分自身のなかでさえ、なあなあがはびこっています。
できそこないのアウトプットの積み重ねが、最終的なできそこないでないアウトプットを生むのです。
できそこないのアウトプットを見比べれば、どこが足りなくてどこは足りているかが可視化できます。ここではじめてテストの穴埋め問題を同じ立ち位置に立てるのです。埋めるべき穴がはじめてそこで見えてくる。
言語化とは抽象化の力のことでもある。思考の深度とは、抽象化能力のことだ。できる生徒はこれに長けている。伸び悩む生徒は、この力が弱い。
となると我々の仕事は言語による抽象化能力をどのように鍛えるのかということになるのだが、言語化能力を磨くには言語化を徹底的に行うしかないと思う。問題を解くだけでも、読書をしてもダメである。書かないとダメ。
「そもそも言語化とは、自分と向き合うこと。それはつまり、心で感じたことに深く気が付けること。例えば、白い壁を見て『白い』と表現することは、自分の外の世界を表現しているようで、実は、白く見えている『自分の感覚』を言葉にしている。だから言語化とは、自分が心の内側で思ったことに深く気が付けるか。それが大前提になる。」
総じて、
アウトプットが重要
ということのようです。
まあそれは常々感じていて、だからこそこのブログを始めたのだけれど。
今後はもっと人に教えるような書き方を心がけてみようかな。
でもそうするととにかく気軽にアウトプットするという当初の目標からまたずれてくる気がするし。うーん。